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カルティエブティック101年の歴史

プラントが建てた邸宅。そしてあの有名な真珠の運命についての余談…

カルティエがこの一角にやって来たことは、それが自分たちも愛用する老舗の宝飾ブランドであっただけに、この区画を最初に築き上げた豪邸のオーナーたちにとっては苦い敗北を意味した。1905年にこの建物が出来たとき、それは商店や店舗の到来に立ち向かう砦のように見えたのだが、しかしそれはアラモの砦となってしまった」

ニューヨークの52丁目通りと5番街通りの交わる角に建つカルティエブティックの横を通り過ぎたとしても、それがどんな意味をもつものであるか、あまりピンとこないだろう。多くの人は間違いなくそうだと思う。大理石と花崗岩を用いたネオルネサンス様式の6階建てで、1905年に完成した見事な建築だ。このブティックは高くそびえるオリンピックタワーの陰となっているが、1917年からカルティエのニューヨークにおける拠点となってきただけでなく、かつては巨万な富と強大な権力を誇るアメリカの名門の邸宅が軒を連ねていた5番街沿いの、今では断片しか残されていない過ぎ去った過去の世界を彷彿させる最後の痕跡のひとつとなっている。

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5番街653番地に建つこの建物は、そのほとんどをカルティエのニューヨークブティックとして過ごしてきたが、出発点はそうではなかった。この邸宅の元の持ち主は、非常に裕福な家庭に生まれたモートン・F・プラントという名のアメリカ人実業家だ。彼の父親はプラントシステムとして知られるようになった鉄道と蒸気船の巨大ネットワークを南部一帯に張り巡らしたヘンリー・ブラッドリー・プラントである。

 ヘンリー・プラントは、抜け目のないやり手だった。生まれはコネチカット州だが、南部の実業界で大きく名を馳せたことから(貨物輸送事業で自身最初の大成功を勝ち取ったのだ)、南部連合国から政府の要職を与えられ、関税を徴収していた。1863年にプラントは、南部連合国大統領であったジェファーソン・デイビスを説き伏せて(病気を口実に)、バミューダへの安全な通行証を作成してもらい、その後、連合国のパスポートを携えてフランスへと渡った。そこでフランス人を説得してジョージア州在住のアメリカ市民であると記載したフランスのパスポートを作成させ、それを携え、南北戦争が終わったアメリカに再入国した。そしてその後、鉄道会社14社を買収し始め(戦後の競売で手に入れたものもあった)、それに伴う莫大な富を築き上げた。

 誰に話を聞いても、1852年に生まれた息子との仲は良好であったとは言えず、亡くなる際にヘンリーは、財産のほとんどを息子のモートンには与えず、孫息子に残そうとした(この時点ですでにモートンは鉄道会社の社長に就任してしばらく経っていたにも関わらずだ。金ぴか時代と呼ばれるこの時代のあまり高尚とは言いがたい泥棒男爵的基準に照らし合わせても、これは少し冷たいと言うしかない)。しかし、モートン・プラントとヘンリーの妻は、なんとか遺書を覆すことに成功し、モートンは、俗に言う羽振りのいい暮らしをし始めたのだ。

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父親のプラントは明らかに疑っていたが、モートンは父親と同じく才覚のある実業家であることが判明する。もちろん、大きな資産を手にして始める事業の幸先が良いのは当然ではある。ニューヨークのもっと裕福な不動産王に関して、かつて耳にした陰口を思い出す。「父親の数百万ドルの不動産帝国から出発して、数百万ドルの不動産帝国を築き上げただけだ」というものだ。モートンは、自身がそれほど敬愛していなかった父親に比べて、少し遊びのセンスがあったようだ。彼の最大の楽しみのひとつがヨットで、自身が会長を務めたラーチモント・ヨットクラブを含むいくつかのクラブのメンバーだった。1887年に初めて結婚したが、最初の妻ネリーは1913年に50歳で亡くなった。そのわずか10ヵ月後に、61歳のモートンは再婚。相手は31歳のメイジー・コールドウェル・マンワリングだった。

 二人の求愛については下世話な話がいくつか飛び交っており、そのひとつがこれだ。メイは、プラントと出会った時点でホテル経営者のセルデン・マンワリングと結婚しており、書籍 『Florida's Ghostly Legends and Haunted Folklore: The Gulf Coast and Pensacola(フロリダの幽霊伝説や不気味な民間伝承:湾岸とペンサコーラ』 によれば、モートン・プラントはメイ(メイジーの愛称)に夢中になり、夫のセルデン・マンワリングに800万ドルを支払って穏便に離婚させたという。モートン・プラントは、二人の年齢差や求婚期間の短さが下卑たコメントを引き出しがちであることを忌々しくもよく理解していたようだ。社会風刺雑誌『コリアーズ』 は次のように書いている。「少し前に、 億万長者のモートン・F・プラント氏が……レストラン経営者の離婚した妻と結婚することになったというニュースがこの国を賑わせた。インタビューが叶い、この大富豪から次のような発言が取れた。『いかにも、私は結婚するつもりだが、プライベートなことなので放っておいてくれ』と」

「これからの人生に寄り添ってくれる、存在感のあるダイヤモンドに憧れます」

井川遥さんが語る「祖母のジュエリーの思い出」とは?|ハリー・ウィンストン、カルティエ、ブシュロンのダイヤモンドが美しく響き合うスタイリング

大人のジュエリーのまとい方には、過ごしてきた上質な時間が凝縮されて、自分だけの輝きとなって表れます。雑誌『Precious』6月号の特集「美しい人は最愛のジュエリーとともに」では、各界でご活躍の素敵な4人の女性に、成熟するジュエリーへの思いをお話しいただきました。

今回は、女優の井川遥さんが語る、ダイヤモンドジュエリーへの思いと、大人女性が真似したい「豊かな人生とダイヤモンドが響き合う」スタイリングもご紹介します。

豊かな人生とダイヤモンドが美しく響き合うように

井川さんが現れるとふわっと優しい風が流れる。

「女優オーラがある」といえば、華やぎの最上級形となるのだが、すでに女優として、ひとりの女性として優雅なオーラを放つ井川さんの場合は…。この日、選りすぐりのダイヤモンドを身にまとった井川さんは、神々しいばかりに輝いていた。

癒やされるのは男性だけではない。柔らかな佇まいの奥にかいま見える極上のひと粒ダイヤモンドの輝きにも似た「凛とした強さ」が、女性たちの心をもとらえるのだ。

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エメラルドカットダイヤモンドの凛とした輝きが似合う

井川さん自身が今いちばん心惹かれているひと粒ダイヤモンド。なかでもエメラルドカットは、そのシャープで知的な煌きが、意志の強い、凛とした大人の女性に愛される。

「エメラルドカットの美しさに一目で惹きつけられました。カッティングがシンプルなので潔く、飾り過ぎず、凛としていて…真っすぐで静の存在感ともいうのでしょうか。ドキドキしますね」

そう言いながら、エメラルドカットのダイヤモンドジュエリーをうっとりと見つめていた井川さん。

「そろそろ大粒なジュエリーや大胆なモチーフのものが似合う年齢になってきて、エターナルな輝きを放つダイヤモンドに、若い頃の憧れとは違う魅力を感じています」

ふだんは大ぶりなバングルなどをさらりとつけている。

「この先選びたいのは、格式あるジュエリーブランドのもの。出合いのタイミングを待って、自分らしい、と思えたら購入したいと思っています」 

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日常使いにプラスしたい繊細さと迫力を併せもつバングルの白い輝き

ボリューム感は欲しいけれど、重いのは嫌。大ぶりバングルのインパクトに、重ねづけもできる繊細さも備えて、ダイヤモンドの白い輝きがモードなジュエリー。

幼ごころに祖母がつけていた大粒石のリングが記憶に残っている。

「アクティブで日焼けをして、シミもシワも厭わない人でしたが、大粒の石のリングや貴平のネックレスが似合っていて、とても素敵でした。まるで体の一部のように祖母にしっくりとなじんでいて」

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Tシャツにさりげなく!アイコニックな輝きを添えるダイヤモンドジュエリー

ブシュロンが本店を構えるパリ・ヴァンドーム広場を象ったコレクション。

スタッズイヤリングは黒の縁取りがモード感を誘う『ヴァンドーム リズレ』。ネックレスはヴァンドーム広場の円柱が彫刻されたロッククリスタルのモチーフをアクセントにした『リヴィエール ヴァンドーム』。そして、指元のダイヤモンドリングはプリンセス、ラウンド、バゲットの3種のカットを4つのモチーフとして重ねた『キャトル ラディアント』。それぞれのアイテムが白いTシャツのスタイリングにアイコニックな輝きを添えています。

年齢を重ねた肌の質感とジュエリーのバランスが変わることで、ジュエリーとの出合いもますます味わい深いものになる。

「すれ違いざまにはっとするほど、素敵な大人の女性に時々目が留まります。それまで生きてきた時間とジュエリーとが溶け込み、たおやかさも凛々しさも感じるような佇まい。そんなふうに年齢を重ねられるように、これからの人生にずっと寄り添ってくれる、存在感のあるダイヤモンドに憧れます」

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